大判例

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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)2445号 判決

控訴人

渋谷信用金庫

右代表者

並木松雄

右訴訟代理人

武田渉

被控訴人

林浩太郎

右訴訟代理人

冨永長建

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び立証の関係は、次に付加するほか、原判決の事実摘示と同一(但し、原判決三丁表一行目の冒頭に「の内容の昭和五八年一〇月二四日付」を、同七行目の「目録記載の約束手形」の次に「(本件手形を含む七通)」を、同四丁表七行目の「本件」の次に「原、当審」を各加える。)であるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

一控訴人は、訴外時報社と締結した当座預金取引契約により、同訴外人が振り出し又は引き受けた手形、小切手の支払事務を担当していたものであるところ、同訴外人から本件仮処分決定に基づき本件手形の支払を拒絶することを要請され、これに従つたものであり、何等の違法行為も犯していない。また、控訴人は、本件手形の所持人である被控訴人に対し何等の債務も負担していないのであるから、本件仮処分の第三債務者となる法律上の理由がない。

二本件仮処分決定の記載によれば、本件手形は、訴外山下彰(仮処分債務者)に宛て受取人白地式で振り出されたものであるが、支払呈示の時点では受取人が訴外橋田寿光と記載されていた。

控訴人は、訴外山下、同橘田及び被控訴人のいずれとも取引がなく、右三名が全くの別人であるか又はそのいずれかが同一人であるのかを知り得なかつたため、被控訴人が訴外山下と法的に同一立場にあるものと判断して支払拒絶をしたのであり、被控訴人は、控訴人に対し、本件仮処分の当事者以外の第三者であると主張することは許されない。

三控訴人が本件手形の支払を拒絶した昭和五八年一一月一六日における訴外時報社の当座預金残高はマイナス金九七万八三〇五円であり、右手形の決済資金がなかつたのであるから、控訴人の支払拒絶と被控訴人主張の損害発生との間には因果関係が存しない。なお、訴外時報社は、同年一二月一日取引停止処分を受け、倒産した。

四仮に、右主張が認められないとしても、被控訴人は、本件手形の裏書人に対し遡求権を行使していないから、未だ損害が発生したものということはできない。

(被控訴人の反論)

一控訴人は、金融機関として手形の支払事務処理につき善良な管理者の注意義務を尽くすべきであるのに、これを怠り、本件仮処分決定の債務者に手形の所持人も含まれるものと誤解し、かつ、訴外時報社からの右仮処分に基づく支払拒絶の要請を安易に受け容れた点に過失の責を免れない。

二控訴人は、本件手形が満期に手形交換所に呈示された時点において、持出銀行に所持人の住所、氏名等を照会すればその何人であるかを容易に知り得たのであるから、右調査をすることなく所持人が仮処分債務者と同一人であるか否か知らないとして支払拒絶をしたことに過失があるというべきである。

三1訴外時報社は、昭和四二年に設立された資本金一〇〇万円の株式会社であるが、この程度の零細企業では、一般に、手形の満期に備えて十分な決済資金を用意しておく所は殆どなく、決済当日取引銀行の営業最終時間まで借入等に奔走した挙句決済することが少くない。また、右借入をするにつき、不動産や預金などの物的担保がなくとも人的担保で足りることもあるから、満期において当座預金口座に決済資金がなかつたからと言つてその手形が最終的に決済を受けられなかつたものと断ずることはできない。現に、本件手形と同様訴外時報社の振出にかかる額面金一〇〇万円、満期昭和五八年一一月一六日の約束手形(手形番号三六五八九)は、満期当日決済資金がなかつたにも拘らず、翌日現金の入金により決済されている。

2一般に、約束手形の振出人が倒産した場合、その帳簿類は散逸するのが通常であるから、振出人と取引関係のなかつた手形所持人が振出人の満期における手形決済資金借入能力をその倒産後に証明することは困難である。右振出人から支払を委託された銀行等が違法に支払を拒絶した場合でも、所持人による前記借入能力の立証不能により右銀行等に対する損害賠償請求が認められないとすれば、手形交換制度の信用性は保証されないことになろう。社会的に高い信頼性を期待されている支払受託銀行等としては、振出人から支払拒絶の要請があれば、その理由を質し、正当な理由のない要請は拒否した上、決済資金を提供させるか、あるいは異議申立提供金を預託させるか、もしくは不渡処分の手続をなすべきである。これをしない銀行等が正当な手形所持人に立証困難な課題を負わせて何らの責任も負わないというのでは、公平を失するというものである。

3のみならず、訴外時報社は、本件手形の決済資金を準備する能力を有していたものと認められる。

即ち、本件仮処分の対象となつた約束手形は七通であるが、所持人が訴訟により権利を主張しているのは本件の外一件(東京地方裁判所昭和五八年(ワ)第七〇六四一号約束手形金請求事件で、訴外柴田圭造を原告、控訴人を被告とし、額面金一五〇万円、満期昭和五八年一〇月二七日、手形番号SA三六五四六の約束手形の支払拒絶につき損害賠償を請求するもの。)のみである。他の五通の手形につき訴の提起のない所をみると、右手形の所持人は、本件仮処分の債務者とされている訴外山下彰か同人と関係があり権利主張ができない者と推認される。

そこで、訴外時報社としては、本件手形と別件訴訟の手形の各決済資金のみを準備すれば良かつたこととなり、本件手形の満期である昭和五八年一一月一六日にはその手形金一五〇万円の決済資金のみを準備すれば足りた。訴外時報社は、前記1のとおり、同じく一七日に四口(金三四五〇円、金七三五〇円、金五万二二〇〇円、金二四万円)合計金三〇万三〇〇〇円を、翌一八日に金二五万円をそれぞれ控訴人の当座預金に入金した。

以上の事実によれば、訴外時報社は同月一六日に手形の不渡事故を避けようと努力していたことが明らかであり、また、同日から翌々一八日にかけて金一五〇万円余の現金を準備できたことも明らかである。そして、一七日に決済された金一〇〇万円の手形の手形番号(三六五八九)より本件手形とそれ(三五五二八)が若いから、控訴人が昭和五八年一〇月二五日に訴外時報社からその支払拒絶の要請を受けた際、本件仮処分決定の趣旨を正しく理解して右要請を拒否していたのであれば、訴外時報社は、本件手形の満期まで二〇日余の期間内にその決済資金を準備することができ、その結果、被控訴人も本件手形金を取得できたことが推認される。

四控訴人の主張四は争う。

理由

一訴外時報社が原判決添付目録に記載の本件約束手形一通を振り出したことは、当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、橘田寿光、林喜美子の裏書を経た右手形所持人である被控訴人は、同手形を昭和五八年一〇月三一日訴外株式会社三和銀行に取立委任裏書をしたことが認められる。

訴外時報社との間で同訴外人の振出にかかる約束手形等の支払事務処理委託を含む当座勘定取引契約を締結していた控訴人は、本件手形につき原判決請求原因6(二)記載のような支払禁止仮処分決定正本の送達を受け、また、訴外時報社から右仮処分に基づき本件手形の支払を拒絶するよう要請されたので、前記訴外銀行により満期である同年一一月一六日支払場所において同手形の支払呈示を受けたが右仮処分がなされたことを理由に支払を拒絶したことは、当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、控訴人が訴外時報社から前記の要請を受けたのは同年一〇月二五日であると認められる。

二被控訴人は、右仮処分の効力を誤解した控訴人の過失により本件手形の支払を拒絶され、その結果手形金相当額である金一五〇万円の損害を蒙つた旨主張するので、右支払拒絶後の振出人、裏書人の支払不能を前提とするものと解されるが、その前提はさておき、支払拒絶と損害発生との間における相当因果関係の存否につき判断する。

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠は存しない。

1訴外時報社は、出版等を目的として昭和四二年四月に設立された資本金一〇〇万円の株式会社であり、昭和五六年九月控訴人と当座勘定取引契約を結んだが、本件手形の満期の前日である昭和五八年一一月一五日における右当座預金の残高は金二万一六四五円であつた。

2翌一六日に、本件仮処分の対象となつた本件手形ほか二通(額面金六三万円のもの及び金一〇〇万円のもの)の約束手形と同じく訴外時報社の振出にかかる額面金一〇〇万円の約束手形一通(以上四通の支払銀行はいずれも控訴人である。)が支払のため呈示されたが、当日は同預金に入金がなかつたため、控訴人は、右仮処分の対象となつた手形三通につき交換決済を取り消し、爾余の金一〇〇万円の手形については資金不足のため決済できず、結局、同日における右当座預金の帳簿上は金九七万八三〇五円のマイナスとなつた。

3翌一七日には、右当座預金に現金一〇〇万円の入金があつて前記仮処分の対象外である額面金一〇〇万円の手形は決済され、同日更に四口(金三四五〇円、金七三五〇円、金五万二二〇〇円、金二四万円)合計金三〇万三〇〇〇円の振込入金があり、これは、同日額面金二五万五〇〇〇円の手形の決済に充てられた。

4翌一八日には、同預金に金二五万円の振込入金があり、これは、同日額面金一〇万円及び金二〇万円の手形各一通の決済に充てられた。なお、訴外時報社は、不渡事故により同年一二月一日ごろ取引停止処分を受け倒産した。

右事実によれば、本件手形の満期当日における訴外時報社の当座預金残高はマイナス金九七万余円で右手形の決済資金がなかつたのであり、訴外時報社はその後十数日内に不渡事故により取引停止処分を受けているのであるから、控訴人が本件仮処分を理由とする支払拒絶をしなかつたとしても、本件手形は預金不足の理由で支払拒絶を免れなかつたであろうと推認されるのであり、従つて、控訴人の右仮処分を理由とする支払拒絶と被控訴人主張の損害発生との間に相当因果関係が存するものとは認められない。

この点につき、被控訴人は、訴外時報社程度の零細企業では、一般に、満期当日の当座預金残高が決済資金に不足しても他からの借入等により決済することが少くなく、また、控訴人が、訴外時報社から本件仮処分を理由とする本件手形の支払拒絶を要請された際、これを拒絶したならば同訴外人はその満期までに決済資金を準備することが可能であつた旨主張する。しかし、訴外時報社から支払拒絶の要請のあつた前記一〇月二五日の段階では、本件手形の呈示者が何人であるか不明なのであるから、控訴人が右要請を拒否すべき理由はなく、また、同訴外人の当座預金に本件手形の満期の翌日合計金一三〇万余円が入金されているけれども、これらがすべて本件手形以外の手形の決済に充てられていることは前認定のとおりであり、右事実と手嶋証言によれば却つて同訴外人としては、本件手形を含む仮処分決定を得た手形についてはおよそ決済資金を準備する意思がなかつたことが窺われるのであつて、他に右主張事実を認めるに足りる何らの証拠も存しない。

また、被控訴人は、本件のように約束手形の振出人が倒産した場合にその後手形の所持人が振出人の満期における決済資金調達能力を立証することは困難であるから、右手形の支払を違法に拒絶した支払受託銀行にその立証責任を負わせるのが公平である旨主張するが、そのように解すべき合理的理由を見出し得ないから、右主張は採用しない。

三従つて、被控訴人が主張する控訴人の行為に因る損害の発生は認められないので、その他の点につき判断するまでもなく、被控訴人の本訴請求は理由がないものというべきである。

よつて、右請求を認容した原判決を取り消した上本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(田中永司 宍戸清七 笹村將文)

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